李明浩

卒業年度と卒業学部は
1989年、法学部政治学科卒です。

義塾時代の思い出など
塾生時代、学業はよそに大学内外の日本人や在日の友人と幅広く交流し、学生時代を謳歌しました。

塾では東京六大学野球の応援と北海道キャンプを中心に活動する「自然に親しむ会」というサークルで、典型的な学生生活。1年次のクラス同期で、後の野球部キャプテンとなる猿田君(立教は長島一茂君がキャプテン)を応援すべく、春と秋のシーズンには毎週神宮に仲間と通っては騒ぎ、飲み、日吉の野球部合宿所でも吐いたものです。

猿田君は3年に首位打者、4年次は優勝し、長島君を押しのけ全日本キャプテンとして、日米野球の最終戦・サヨナラホームランで優勝という最高の活躍。応援冥利につきました。後の結婚披露宴では応援指導部主将だった長谷部君が在日来賓者の前で、本格的なエールを振り、盛り上げてくれたのが自慢でした。

視野の狭い在日感覚からの脱皮

在日関係では、2年次に民団主催の「春季学校」の学生団長として多くの在日大学生と共に祖国を訪問、東京以外の在日の大学生との交流が大変刺激になりました。塾では日吉に「朝鮮史研究会」の部室があり、時々顔を出していましたが、活動は殆どなし。

塾外では、1-2年次に在日学生の集まり「韓学同」にも時々顔を出し、夏合宿では自分の意見と必ずしも合致しない相手に対し、学生運動の名残を残す雰囲気の中、若さと熱血漢にまかせ、熱い論議を交わしました。

また、沢山のアルバイトをしながら、早稲田留学中のオレゴン州立大生を世話したキッカケで、4年の前期終了時点で1単位だけ残して休学、オレゴン州立大学社会学部に留学しました。在米韓国人の大学生や、韓国からの留学生と、半島の歴史や民族の identity について熱い論議を交わし「視野の狭い在日感覚」から一皮剥けるキッカケにもなりました。

慶応は1年遅れで卒業、オレゴン州立大学も翌90年6月に卒業しましたが、成人になる上で、大変重要な時期でした。

卒業年度と卒業学部は
毎年案内が届いていましたが、参加を躊躇していました。数年前、アサヒビールの瀬戸相談役(当時)の講演会があった際、思い切って参加。学生時代に面識あった、先輩の尹和代さんもいらしたので、皆さんをご紹介いただき、すんなりと会に溶け込むことができました。素晴らしい会です。

就職時の状況や近況を
外交官か商社希望でしたが、在学中に韓国の外交官は難しいだろうと自分なりに判断を下し、商社なら日本と韓国を股掛けた仕事が出来る筈と考えていました。米国留学中に偶然「三菱商事・取締役に初の韓国人」という新聞記事がオモニから届き、サムスンから三菱商事にスカウトされた崔文浩氏が取締役に就任という事実に出会います。

「これだ!在日でも頑張れば活躍のチャンスがある」と興奮。アメリカから人事部に思いを込めた手紙を送り、年末一時帰国して面接・入社となりました。当初は韓国担当を想像していたのですが、「韓国以外の多くの国を知ってこそ、いざ韓国のジネスをする際に、自分なりの比較軸(基準)が持てて役に立つ」と言われ、米州関係の部署に配属、今でも当時の上司の配慮に感謝しています。そして、いずれ、わが韓国に関連する業務に就ければと思っています。

ご両親やご家族にまつわるお話を
ウェハラボジ(義理の祖父)はご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、「楽園の夢破れて」という本の著者で、当時在日を揺るがせました。昨年再出版された本を読むと、当時の在日のようす、ウェハラボジが提起した在日問題を巡り、娘であったオモニや、その夫であったアボジまでも巻き込み、当時在日が直面していた壮絶なイデオロギー問題を垣間見ます。自分が塾生の頃は「凍土の共和国」が話題となった頃でしたが、元祖本だと思っています。

アボジは金海から日本へ留学した在日1世で、それこそ血を売って、コッペパンを食べ苦学した世代です。在日の考古学者として貧しいながらも一心不乱に「広開土王陵碑」(好太王碑)の研究を通じ、我々のルーツ探求に専心していた姿は幼な心にも凄いと感じていました。1世の歩んで来た凄まじい時代からすれば、今は恵まれた世代であり、もっと頑張らねばと思う日々です。

これまでの人生最大の思い出は
ペルー駐在の頃、「ペルー日本大使公邸人質事件」で約2週間人質となり「死」を意識させられ、同時に「国籍」も強く意識させられました。日本企業の駐在員ですが、韓国国籍である為、外務省報道では当然ながら日本人の人質リストに自分の名前は入りませんでした。その後「韓国籍の李」として、日本企業の人質リストに追加されるのですが、在日で日本企業の駐在員であった自分は、韓国政府にも、日本政府にも保護されないのではという不安がありました。

韓国大使から同胞として全力を尽くすとのお言葉をいただき、同時に日本大使からも「君は日本国民と同じように守るから心配しないように」という感動的なお言葉をいただいたのを忘れません。

国籍とグローバリズム

日本国内にいる場合、国籍を意識する場面と言えば、就職、結婚、役所の手続、結婚、就職、子供の学校などが典型的ケースかも知れません。その意味で在日では、国籍や民族に拘るなという論議が良くあります。一方、外国で仕事をしていると、否応なしに「国籍」を意識させられます。

これから益々グローバルな社会に生きて行く我々は、片や国籍や民族などに捉われ過ぎずに生きて行く世代でしょう。しかし、国が有事の際には「国籍」で敵味方の区別をされる現実に触れた経験から言えば、国籍やアイデンティティに余りに「無頓着」過ぎもどうかという強い危機意識を持っています。

一世達が命を掛けて守ろうとした国籍。同じ民族が、イデオロギーの違いとそれに伴う国籍の選択を通じ、人生に大きな影響を与えた戦後がありました。「未来志向」と「共生」という考え方は大賛成です。しかし、過去に無知でいるのでなく、我々在日の roots (プリ)をまず積極的に知った上で、若い方々には次の時代に合った「ベストな人生の選択」をしていただきたいと願っています。

コリア三田会の若い人たちにエールを
日本の政経情勢に不安はあるものの、一昔前と比べれば今の在日を巡る環境はそれなりに恵まれているかもしれません。海外に目を向ければ益々グローバルな時代。多くの在日の方々がさまざまな分野で活躍し、目を引くようになりました。世界各国が有機的に関係し、日本も韓国も自国だけでは生きて行けない相互依存の時代になっています。もっともっとチャレンジしてさまざまな舞台で活躍される方々が増えると信じています。

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